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奥高麗茶碗(米量)銘 万年杉
唐津 室町−桃山時代 16世紀 この奥高麗茶碗は、米量奥高麗に類するもので、元来は食器に作られたものですが、いつの時代かこれが米びつの中にほうりこまれて、米をすくう器になってしまったので米量というのです。非常に古い時代の唐津茶碗で高台が低く一部削られて、高台畳付の角目がすりへっています。この様な茶碗を根抜奥高麗茶碗ともいいます。 |
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仕覆 紺地大牡丹印金 |
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志野沓茶碗 銘 ふる里
美濃 桃山時代 17世紀初頭 珍しい志野の沓茶碗です。あるいは正式には志野織部沓茶碗というべきかもしれませんが、志野の釉はまだしっかりと不透明であり、志野織部と呼ぶ透明性の釉薬にはなっていません。したがって志野沓茶碗と呼びましょう。鉄絵がくっきりと表されて明快な意匠になっているのもこの作品の見どころです。 |
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伊羅保茶碗 銘 立田川 李氏朝鮮時代 17世紀前半 径:15.8p 伊羅保茶碗としては珍しく赤味がほんのりと差し、余白が青味のあるところから、その釉景を捉えて龍田川に流れる紅葉に見立てて、表千家十三代即中斎が、立田川と銘を付けています。口縁の作行きは鋭く、高台は竹の節にざんぐりと力強く箆をもって削り出しているところは、伊羅保の本領がよく示されるところであり、全体に薄手で轆轤目が細かく横に走っているあたりも伊羅保の特徴がよくあらわれたところであります。焼造は桃山時代後期の慶長年間の後半から元和にかかる時期であると思われます。釘彫伊羅保のような強い個性をあらわすことはありませんが、しめやかな美しい伊羅保であります。 |
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